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北神ってどんな所?

2010年11月05日


三田市マスコット「キッピー」 

三田の歴史
    北神協組のある三田市は、兵庫県の南東部に位置し、豊かな環境と穏やかな気候に恵まれています。この三田には、はるか数万年前の旧石器時代にすでにこの地に人々が暮らしていた痕跡が発見されているほか、弥生時代中期の遺跡からは、畿内最古の鉄器類や竪穴式住居跡なども発掘されています。
   668年(天智天皇7年)に金心寺が建立、門前町が形成され、金心寺周辺を「三田」と呼ぶようになりました。平安時代から鎌倉時代にかけては市域の各地に多くの荘園が作られ、地頭である豪族が小さな山城を築いて統治していましたが、室町時代になると、播磨国守護だった赤松則村の四男・氏範が三田城を築城しました。その後も、赤松氏を出自とする摂津有馬氏が領有していましたが、戦国時代になると織田信長の家臣・荒木村重が摂津国を平定、三田を城下町として整備しました。この荒木村重が
信長に謀反を起こし討たれると、信長の家臣・山崎堅家が近江国から入封し、三田藩が成立します。江戸時代になると志摩国鳥羽藩から九鬼久隆が3万6千石で入封し、廃藩置県により三田県となるまでの約240年間、九鬼氏が三田藩を統治しました。三田県はその後兵庫県に編入され、昭和33年に市制を施行し現在に至っています。
  
三田出身の偉人
★★川本幸民(こうみん)★★
三田藩出身の蘭学者・川本幸民は、『近代化学の祖』と言われています。PHP研究所発行の「蘭学者 川本幸民」の解説によると、『われわれの使っている「化学」という言葉を日本で最初に使いはじめたのは、幕末動乱の時代を生きた川本幸民(1810-1871)という蘭学者である。彼はそのほかにも「時間」「分子」」「空気」「水蒸気」「軽金属」「重金属」「ブドウ糖」「気象」といった、われわれが日常使っている言葉を数多く考案している。また、ビールの試醸、マッチや写真機の製作をわが国で最初に行い、蒸気船、飛行船、電信、兵器など、数多くの欧米の技術をわが国に紹介した。』とあります。三田市では今年生誕200年を迎えた彼の偉業を称えて、幸民ビールを復刻するなど、さまざまな催しを行いました。

★★白洲家三代(退蔵・文平・次郎)★★
【退蔵】三田藩13代九鬼隆義の抜擢にこたえ、幕末から明治維新の混乱による藩財政を立て直し、神戸初の輸入商社『志摩三商会』の運営に参加し、のちに横浜正金銀行頭取や岐阜県大書記官などを歴任。
【文平】綿貿易の会社『白洲商店』を興して巨万の富を築き、周囲からは白洲将軍と畏れられた。趣味の建築などに散財し、昭和の金融恐慌で破綻。
【次郎】吉田茂の側近として連合国軍総司令部と対等に渡り合い日本の復興に尽力。日本国憲法誕生に立ち会ったのをはじめ、貿易庁初代長官。貿易立国を標榜し、通商産業省を誕生させた。吉田退陣後は東北電力会長としても活躍。


三田の特産品
★★三田米★★

三田米とは、兵庫県産地品種銘柄に載っている品種のうち三田市内で栽培され三田で出荷された米のこと。主要な品種は、「コシヒカリ」「山田錦」「どんとこい」です。特に、三田市内の山田錦生産農家では、三田を「酒米・山田錦の郷」として売り出そうとPRに務めている。

★★三田ウド★★

寒暖の差が大きい三田産は、しっかりとした歯ごたえと独特な風味で人気を集める。わらで覆われた「ウド小屋」で作る昔ながらの手法を続けている農家も数軒残っている。二月に入ると、大きいもので直径四センチ、長さ八十センチまでに成長する。白くつややかで、まっすぐに伸びたウドが上質とされる。

★★三田肉★★

三田牛は但馬牛を素牛として、三田地域で長期間丹精込めて育てられる。武庫川水系の伏流水は、肉牛肥育に適したミネラル成分を含み、一日の寒暖差が激しい気候は、牛の体を引き締め肉質を高める。

三田の名所
★★旧九鬼家住宅資料館★★

明治初期に建てられた全国でも数少ない擬洋風建築。※擬洋風=当時の大工が洋風建築を取り入れて造った、洋風と和風が混在したもの。


★★千丈寺湖(せんじょうじこ)★★

青野ダムの建設によって出来た湖。三田市を中心に北摂北神地域の水道水源。周辺は青野ダム記念館などを含むダムサイト公園など、大小の公園が整備されている。青野ダムはバス釣りで有名。釣り人たちが多く訪れる。

★★花山院菩提寺★★

西国三十三カ所観音霊場の中興の祖と言われる花山法皇にゆかりの寺として、この「花山院」(菩提寺)、と花山法皇が剃髪された「元慶寺」に、霊場開祖の徳道上人をお祀りする法起院と合わせ3カ寺が西国観音霊場の番外札所となっている。
『御詠歌:有馬富士ふもとの霧は海に似て波かときけば小野の松風』

★★  心月院  ★★

九鬼家代々の宗廟。江戸時代に白洲家が九鬼家に仕えた関係から、白洲次郎・正子夫妻の墓もある。次郎の遺言「葬式無用 戒名不用」のとおり、夫妻の墓には梵字しか刻まれていない。


★★県立有馬富士公園★★

有馬富士の名前の由来は、有馬温泉付近からの遠望が富士山に似ているため。角山(つのやま)ともいう。有馬富士・福島大池等の周辺が県立公園として整備され、平成13年に開演した。




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